
何故それをやる?
何故そこまでやる?
その答えは自分しかわかるはずかない。
脳科学によれば、神経伝達物質エンドルフィンは、一定以上の苦痛を受けるとそれを緩和するために幸福感をもたらす作用があると言われる。この説に従うと宗教者が苦行の果てに神や仏を見出す行為には生物学的説明がつく。
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理不尽な練習をあえてやる意味
感情が爆発する。
何かを我慢して一気に放出する。
何かのために何かを我慢する。
その何かを得た時の感覚というか、感情というか、動物的幸福なのか。
それについてはもはや理屈ではない。
ただ単にそれが好きだから。
自分にしか理解できないものが誰にしろあるはずだ。
だからそのためにはやりたくないけどやる選択をする。
そのためだけに。
すべての行動に、意味を見出す。 コーチから与えられる練習メニューを機械的にこなす選手は多いが、僕はすべての練習に意味を見出した上で望んでいる。 たとえば、僕は科学的でない理不尽な練習もあえて自分に課している。
試合というのは技術を交流する発表会ではなく、行き着くところはファイトでしかない。どんな汚いパンチ、どんな下手な技でも相手を失神させれば良い、関節をひねれば良い。だからこそ、理屈ではない気持ちの部分が、非常に大切になってくるのだ。
パフォーマンスだけを考えたら、もっと合理的な練習方法もあり得るはずだが、僕は試合で戦うメンタルをつくる上で、根性論のような理不尽な練習をあえて組み込んでいる。
くだらない見栄で、練習でも負けたくないと変な意地を持つ選手が多いが、そんなものは成長する上では邪魔なだけ。 必要なのは、すべての行動の意味を間違えないこと。 周囲の目を気にし、練習で恥をかけない選手はいつまで経っても強くなれない。
トップオブトップのアスリートには自分にしかわからない、その位置まで行き着かないと理解できない感覚だったり、心情、精神があるのではないかと思う。
だからこそトップオブトップなのだ。
その境地に行き着かなければわからないものがある。
行き着く選手のバックボーンには様々な物語があり、
その物語の過程の中でどう発火し、そして化学反応が起き、
自分自身を進化させながらその道を進んでいるはずだ。
誰もがそれぞれ自分の物語の中で様々なターニングポイントがある。
そこでどんな感情になり、どんな道を選択していくのかが、辿り着く行き先なのだと思う。
『今』常に起こっている選択を、どう選択するかは自分以外は誰もできない。
選択、選択、選択の連続だ。
そのために、『意味を間違えず、見出す』ことは大きな鍵になる。
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