
『自分に向ける意識』と『周りに向ける意識
ムカデの自意識 〜孟子〜 「百足」と書いて「ムカデ」と読む。 この不思議な虫の、苦難の物語です。 ある暑い夏の日、 ムカデが、一生懸命に歩いていました。 すると、通りかかったアリが言いました。 ムカデさん、凄いですね。 百本もの足を、 絡み合うこともなく、 乱れることもなく、 整然と動かして歩くなんて、 さすがですね。 その誉め言葉を聞いて、 ムカデは、ふと考えてしまいました。 なぜ、自分は、 これほどうまく、百本の足を動かせるのだろうか。 アリさんの言うとおり、 絡み合うこともなく、乱れることもなく、 なぜ、整然と動かして歩くことができるのだろうか。 そう頭の中で考えはじめた瞬間に、 ムカデは、一歩も動けなくなってしまいました。 先ほどまで、何の苦もなく無意識に動かしていた足を、 一歩も動かすことができなくなってしまったのです。 このムカデの姿は、 我々の姿に、似ています。 自意識の病。 その病によって、 我々は、いつも、 力を発揮できなくなってしまうのです。
自意識過剰 自意識過剰(じいしきかじょう)とは、人が他に対して自己を意識し過ぎた状態。 他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態。 人前でスピーチをする時などに、他者の目を意識するあまりの極度の緊張状態は、 あがり症と言われている。 反意語として無意識過剰という言葉が存在する。 〜Wikipedia引用〜
『自己意識』より『自己認識』
本番は一瞬だ
その一瞬のためにどのくらいの時間を費やしたのか
『目標としていた場』
『晴れ舞台』
『ここぞの場面』
俗に言う『大事な場面』
ここでは想定していないこと
思いもしないことが起こる
その時に大切なものは
その場に行き着くまでの『過程の時間』と
その場での自分自身の『適応力』ではないか
(ここでは『過程の時間』は省略)
『適応力』
その場で起こる数多くの出来事に対して
『今』自分がどうなのか
『今』自分はどうすべきなのか
『今』どうあるべきかを
『自己認識』できる能力が『自己意識』より必要ではないか
自意識過剰に『気づく』
自分自身が『今』どう状態にあるのかを気づき、
知ることが変化(適応)できるきっかけになる
そして
「他人は、他人自身のことで頭がいっぱいである」
「自分が思っているほど、他人は自分のことを意識していない」
「他人は、自分に関する事柄を覚えていないうえ、自分が欠点だと思っているところにも気づいてすらいない」
といった事実を覚えておくことが大切であるとされる。
〜Wikipedia引用〜
客観より俯瞰 自分の心の中で騒ぐ自我や自意識を、 否定もせず、 抑圧もせず、 ただ静かに見つめる 「もう一人の自分」 その自分が心の中に現れたとき、 不思議なほど、揺れ動く心や自我は鎮まっていく。 実は、この状態こそが、「無心」や「無我」、 すなわち「悟り」と呼ばれる境地に他ならず、 この境地にあるとき、我々は、最高の力を発揮する。
自分もそうだが
自分のどこまで理解(認識)できているかなんてはわからない
ただ理解(認識)しようと向き合うことを
日常的に 習慣的に 行い続けることで
『ここぞの場面』
で自分の納得するパフォーマンスが
瞬時に 咄嗟に できるのではないか
『できる』と言う表現より
『でてくる』って感じ
『ここぞの場面』
ででてくる自分が
『今までの自分』
そして
『今の自分』
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